「Diablo1のDuelに関する文章を一緒に書いて、インターネットで公開しませんか」とKouji氏にふと言われたのは、寒さの厳しい冬が終わろうとする頃だった。1996年末の発売から既に4年半以上の月日が流れ、多くのプレイヤーが別のゲームに移り住んでしまった今になって、世紀をまたいでDuelに関する文章を書くことに何の意味があるのだろうか、と私は最初に疑問に思った。
何のために文章を書くのか。その文章を必要とする人がいるのか。そしてもしその文章を書くとしたら、自分はどんな恩恵をその文章から受けることができるのか。これらのことに多少なりともビジョンがなければ、わざわざ文章を書いて、サイトで公開する必要などない。Duelに関して思うことがあるだけならば、わざわざ公開する必要などなく、ノートにメモをとるだけでいい。Duelに関して話をしたいだけならば、チャットルームでもできるし、OFF会という形式で実際に会って話をするだけでもいい。私は、そのことをKouji氏にたずねた。
するとKouji氏は「最近、俺達が話していることを書きましょうよ。今Duelをやっている人は気付かないことだし、Duelに関するいろいろなことが研究されて議論され尽くされた今だからこそ整理して書けることもある。今、Duelをやっている人にぜひ知って欲しいと思うことは、Duel全盛期をくぐり抜けたKatuさんならあるでしょ? それを今、ホームページで公開することは十分に意味があることじゃないかな」と言った。Duelが全盛期の頃から今現在まで継続してDuelを楽しんできたKouji氏にとって、そして多少なりとも長い間Duelに関わってきた私にとって、現在のDuelは以前とは異質なものだという感想はお互いに持っていた。確かに、Kouji氏の言う通りだった。最近のDuel、特にW
vs WのDuelからは、何か大事なものが抜け落ちてしまっている。その「抜け落ちたもの」について書いて公開しようとKouji氏は言っているのだ。
Kouji氏と私が「Duelにおいて大事なもの」と呼んでいるものとはいったい何なのか。それはまさに「Duel(決闘)」という単語が意味するものそのものなのだ。Duelとは、人と人との戦いだ。コンピュータと人との戦いではない。人と人とがネットワーク対戦ゲームで戦うとき、もっとも強力な武器とはいったいなんだろうか。
知っている多くの技を繰り出すことだろうか。いや、違う。技を単純に繰り出すことで勝利できるほど、人と人との戦いは甘いものではない。技には必ず弱点と返し技がある。自分の得意技をワンパターンに繰り出すことは、返し技を受けて勝負に敗れることを意味している。
ではネットワークゲームで発生するズレやLagが自分に有利に働く立場にいたとき、そこに発生する「幸運」を拾うことが勝利への最高の手段なのだろうか。それも違うだろう。自分が有利な立場にいたときに(Diabloでいうならば、自分の通信環境が整っていないために「重い」場合に)、その有利な立場を利用することに終始することは「自分の力で勝った」と言えるのだろうか。自分が「重い」という「幸運」は、ある瞬間に自分よりもさらに「重い」相手とDuelをするともろくも崩れ去ってしまう。そのような危ういものを武器とすることは非常に不安定ではないだろうか。悪い通信環境でなければ掴むことができない「幸運」(つまり「軽い」人と「軽い」人との間のDuelでは発生しないような不測の事態)を利用して勝ったとして、はたしてそれを「勝利」と呼べるのだろうか。たしかに人と人との勝負には「運」というものは必ず絡んでくる。しかし、その「運」を掴むことが勝負のすべてならば、Duelとはくじ引きを意味してしまう。かつてDiablo1の全盛期にあれほど多くのプレイヤーが熱中していたものが単なるくじ引きであるはずがない。単なるくじ引きが、多くの人を魅力するはずがないからだ。
技を繰り出すことも、Lagによって生まれる幸運を掴むことも、Duelにおいて最大の武器とならないならば、いったい何が残っているのだろうか。それは「自分が人間であり、相手も人間であること」を最大限に利用することに他ならない。相手が人間であるからこそ、ミスもするしフェイントにもひっかかる。相手が人間だからこそ、相手の動きを予想することができる。つまり、「相手の状況や動きを読み、相手をうまく自分の策略に誘導すること」こそ、Duelにおいて最大の武器となるのだ。同時に、相手が人間で、こちらも人間であるからこそ、こちらの動きやクセを読んできて、攻めのパターンを変化させ、こちらをうまく策略に誘導しようと画策している。こちらは順調に攻めているつもりが、実は相手の手のひらで踊っているだけということもある。
この「読み合うこと、騙しあうこと」こそ、Duelの最大の楽しみであり、Duelの深奥なのではないだろうか。このような「読み合うこと、騙しあうこと」を楽しむためには、無論、自分の頭脳に忠実な正確な操作は必要だろう。そしてLagやズレも考慮して自分の画面に表示されていることの意味を正確に把握するためには、たくさんの経験も必要だろう。相手のLifeを見て、相手の装備を予想するためには、装備に組み方に関する知識を網羅的に持っていなければならない。多くの経験と知識に基づいて、その瞬間に相手を倒すための最高の判断を下し、その判断に忠実な操作を正確に行う。簡素なことのように思えるが、これこそが最高の武器となるのだ。そしてこの「簡単なこと」をうまく成し遂げることができる人こそが、Duelistと称されるべき人であり、技を振り回すだけの人や、自分に有利なLagによって生まれる幸運を拾うことに終始する人を一蹴してしまう実力の持ち主なのだ。そのような「簡単なこと」は、どのようにして行うのか。「読みあい・騙しあい」とは具体的にはどのようなものなのか。「読みあい・騙しあい」をするために必要となる知識はいったいなんであるのか。これを解説することがKouji氏の目的であり、このサイトの趣旨となっている。
このサイトは3章によって構成されており、第1章ではDiablo1において最大の問題となるLagやズレに関する詳細な考察を行っている。Lagやズレとはいったい何なのかということに関して明確な定義を与え、それがDuelにどのような影響を与えるかを具体的に考察している。また、通信速度・品質が顕著に異なる相手との対戦において発生すること(自分が「軽い」時に、「重い」相手と対戦したらどのような影響を受け、どのような現象が発生するか、またその逆に、自分が「重く」、相手が「軽い」場合はどのようなものになるのか)を具体例を挙げながら解説し、留意すべきことを列挙してゆく。
第2章では、W vs Wにおいて使用されうる装備の構成を網羅的に列挙し、それぞれの装備の志向性を解説する。このリストの中から自分の闘い方にもっとも適したものを見出すことも可能だろうし、対戦時に、相手の装備をLifeの数値によって見抜くことも可能だろう。なお、ここで述べられている数値は、Lv
50 Wで、アイテムの数値は最大値であることを前提としている。なお、ここではそれぞれの装備を実際に装備していた歴戦のDuelist諸氏の名前を(Kouji氏のたっての希望で)添えさせていただいた。
第3章では、このサイトの主題である「読みあい・騙しあい」の方法論と具体的な実戦例を図を用いながら解説する。「読み合い・騙し合い」とはもちろんケース・バイ・ケースのものであるから、ここで述べられているものが全てであるなどということはあり得ない。基本の方法論を習得し、具体例に目を通していただければ、自分なりの闘い方を構築することが可能となるだろう。
なお、このサイトはKouji氏にフリートーク形式で語ってもらい、私が質問を交えながら議論し、それを私がまとめて文章化するという方法によって作成された。Kouji氏との議論は5日間行われ、それぞれ長時間に渡った。その議論のログは膨大なものとなり、文章化するに当たってはかなりの省略も行われているし、私なりの解釈も入っている。できるだけ彼の言葉を忠実に文章化しようと努めたが、私の力量が及ばないために、読者にとっては不利益をもたらしているかもしれないことをお詫びしておく。しかし、同じWメインとはいえどもDuelにおける立場も戦い方も違うKouji氏と私という2人が行った共同作業にはある程度の普遍性があり、読者にとっても有益な情報が含まれていることを願っている。
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