keganiの雑文集 No.3
Diabloの潜りに関する話題を徒然と書き連ねています。更新は不定期です。
| スタイル論 |
今回が最後の雑文です。最後のテーマは、スタイル。
一人のDiablo1のプレイヤーがLA2H Diverとなることを志して研鑚の日々を重ねてゆくと、様々な技術を使いこなして難局をクリアすることや、他人の動きを見て効果的な連携プレイを行うこと、そしてスピーディな展開においても遅れることなく自分の力を発揮することが可能となる。これは私の雑文「至高の一皿」で述べた段階的成長のことであり、この過程は、シリアスな態度でLA2Hに臨むDiver全員が過去において経験したか、今まさに経験しているものであることには疑問の余地がない。
今さら言うまでもないことだが、この段階的成長の過程は、battle.netにおいてよく口にされる「うまさ」という単語と密接な関係にある。つまり初期の段階(雑文「至高の一皿」の表で言うところのR6, R5)に位置しているLA2H Diverは「未熟である」と評され、最終段階(表で言うところのG2, G1)に到達しているLA2H Diverは「うまい」と評されるのだ。このような「うまさ」に関する評は、我々LA2H Diverにとっては否が応でも重要な意味を持つのであり、そこから逃避することはできない。たとえそのDiverに修練を積む意思がないとしても、彼がAxeを握ってLow ACである限り(そしてあからさまなコスプレ潜りではない限り)、他者から見ると彼はLA2H Diverなのであり、強制的にG1からR6の段階のどこかにランク付けされてしまうからだ。
しかし、LA2H Diver自身にとって、そしてLA2H Diverを観察する者(ほとんどの場合、それはLA2H Diver自身だろう)にとって、「うまいか、うまくないか」という尺度は唯一無二の判断基準ではない。我々は別の重要な尺度によっても測られているのだ。その「別の重要な尺度」こそが、今回のテーマである「スタイル」ということになる。
「スタイル」という尺度は、「うまさ」という尺度とは違って、段階的なランク付け(=優劣があるもの)ではない。「スタイル」という単語が「〜らしさ」や「個性」という単語群をすぐに連想させることからもわかる通り、「スタイル」という尺度において最も重要視されるのは、「他者との違い」となる。そしてこの「他者との違い」があるかどうかは、自分が決定できるものではなく、自分を観察する他者が決定するのだ。つまり「他人から見て、その人らしいと思える要素」こそがその人の「スタイル」なのだ。そのおかげで、我々は自分のスタイルを構築しようと努力するが、それを自分では確認できないという矛盾が生じてしまうのだ。
この「スタイル」という尺度によって他者を観察する時、我々は2つのステップを踏んでいるように思われる。その第1のステップとは、私が「LA2H Diver分布図 2003」で使用した「攻撃性重視/安定性重視」と「対個体型/対集団型」という2つの対立項によって形成されるグリッドのどこかに、そのDiverを配置することだろう。この区分法によってそのDiverを分類すると、ゲームにおいてそのDiverがどのような潜りをするのか、おおまかな予測が可能となる。たとえば「安定性重視で対集団型」のDiverだと区分できるならば、「パーティの先頭を突き進むことはないだろうし、派手な立ち回りもないだろう。おそらく最後尾をついてくるだろう。多くの敵をアクティブにしてしまうようなこともないだろう」という具合に予測を立てることができる。
しかし、このグリッドによる区分はおおまかなものでしかなく、同じグリッドに位置するDiver同士の区別はできないし、このグリッドに配置されたすべてのDiverが確固としたスタイルを構築しているわけでもない。そこで必要となるのが「他者と明確に区分できる個性的な潜りをしているか否か」という第2のステップなのだ。このフィルタリングによって「没個性的な潜りをしている」と判断された場合は、たとえ優れた個人技を身に付けていたとしても、一人前のLA2H Diverとはみなされないだろう。辛口のLA2H Diverが他のDiverを批評するときに「まるでAI(人工知能)が潜っているみたい」という言葉が使われることがあるが、この言葉はまさに「うまいけどスタイルを持っていない」Diverに向けられているものだ。※1
※1 このフィルタリングには、Diverの世代が関係しているのが興味深い。今はbattle.netに通わなくなってしまった古い世代のLA2H Diverは、その多くは技術的に未熟であったし、マルチプレイに関して深い理解を示していたわけではないが、不思議なことにスタイルだけはしっかりと構築しており、とても個性的な潜りを披露していた。逆に新しい世代は、技術向上には熱心でありマルチプレイを意識した潜りを卒なくこなしているが、明確なスタイルを持っているDiverは少なく、没個性であるのかもしれない。
この「個性的な潜り」はどのようにして形成されるのか、我々はどのような要素を「個性的である」と判断しているのか、明確に述べることは非常に難しい。「どうやったら個性的な潜りができるんでしょうか」という質問を私は何度も受けたことがあるが、一度として明確な解答を言うことはできなかった。私は質問を受けるたびに、「スタイルどうのこうのなんて考えずに、体が反応するままに潜ることを繰り返しなさい。とにかく膨大な数の潜りを、漫然とではなく、問題意識を持ってこなすことが第一です。そうすれば、自分にしっくりくる潜り方というものが自然に備わってきます。その時には既に、周囲から見ると『あなたらしい潜り』が構築されているんですよ」と返事することを繰り返してきたのだ。さらには、どのようにして自分が判断しているのか明確には言えないのだが、たとえばRacco氏が完全にbattle.net初登場の匿名キャラで潜りに参加しても、(意図的に潜りかたを変えない限り)13Fが終わるまでには彼だと認識できる。Tai氏と共に潜っている時に、彼が視界に入ってくれば、次にどのような行動をとるのか(たとえば狭い場所に敵が密集していた時、TLPで離脱するのか、残るのか、MarikしてHealなのか、赤Potionを飲んで動かないのかなど)ほぼ間違いなく予測できるし、彼と同じPlate姿のDiverがいたとしても、見間違えることはない。どうやら、他のDiverを区別するためのブラックボックスのようなものが頭の中にあり、私はそれを働かせながら潜っているようだ。そのブラックボックスがどういうシステムなのか、私自身もよくわからない。
はたして、このような得体の知れず、掴み所のない「スタイル」というものはLA2H潜りに必要なのだろうか。ただ「うまい」だけではいけないのだろうか。通常のHigh AC潜りでは「スタイル」が必要となることはまずないし、High AC Diverが「自分のスタイル」と思い込んでいることは「スタイル」などではなく、ただ単に装備の組み合わせ方とその使用法に過ぎないことがほとんどだろう。もしくは、上で紹介したグラフに近いもので区別できるパターン程度のものだろう。しかしLA2H潜りにおいては、「スタイル」は必要不可欠なものだと断言できる。特に、非常に高度なマルチプレイを構築しようという意思がある場合はそうなのだ。
なぜなら、先ほど私がTai氏の動きを予測する様子を具体的に紹介したが、このような予測が可能となるほどの明確なスタイル(やクセ)を持っているDiverと潜ると、エリア攻略の速度と効率が圧倒的なほどに上昇するからだ。1つの状況に突入したとき、それぞれのDiverがどのように対処するのか予測できるならば、自分がどのように動けばパーティにとってプラスになるのか、どこに注意すべきなのかを考えることができるのだ。このようなマルチプレイは、濃密な非言語的コミュニケーションを含んでおり、とてもエキサイティングで人間味溢れるものだろう。
あらゆる状況をスムーズにクリアできる個人技。そして連携プレイを可能にする広い視野。さらには他者にこちらの動きを予測させるほどの個性的なスタイル。この3つを備えたLA2H Diverが増えて、毎夜エキサイティングな潜りが繰り広げられるようになれば、JPN-1は我々LA2H Diverにとっての理想郷となるだろう。
これで雑文は終りです。本当は私自身のスタイルについて書こうとも思っていたのですが、十分に長くなってしまったのでやめておきます。それに「スタイルは他者が認識するもの」と書いている私が、私自身のスタイルを語るのはやっぱりおかしいですしね。毎回長い雑文でしたが、お読み下さってありがとうございました。
| バランス感覚・追補編 ―野蛮な闘志の回復 |
今回は追補編として、「バランス感覚・後編」の最後で言及した、我々が目標とすべきLA2H潜りの「もう一つの重要な要素」について述べる。まず最初に、今回の雑文の概略を述べておこう。前回の雑文では、第1世代から連綿と受け継がれてきた個人技と、ここ2, 3年の間に研究された新要素のバランスをうまく取ることを訴えたが、これは実際のキャラ操作や判断に繋がる具体的な提言だと言える。それに対して今回の雑文では、私が今もなお重要と見なしている「かつてのLA2H潜りが内包していた野蛮な精神性」が紹介され、それを回復させようという抽象的な提言がなされる。
LA2H潜りとは一体何なのだろうか? 我々LA2H Diverにとって、これほど根源的な問いは他にないだろう。このような問いに答えることは、いかようにでも答えることができるという意味では簡単であり、どのように答えようとも全てを表現できないという意味では難しい。そこで今回の雑文は、この問いに以下のように答えることから始めようと思う。
「傑作ゲームDiablo1に存在する様々な楽しみ方の1つである。高いアクション性・戦術性・戦略性・非言語的コミュニケーション・スリル・カタルシスを堪能することができる」
LA2H潜りをこのように説明することは、このサイトの読者にとっては馴染みのあることではないだろうか。このサイトの前書きにあたる「Low AC潜りの意義」では、アイテム集め、キャラ育成、Duel、タイムアタックとは違うDiablo1の楽しみ方であることが強調されているし、「非言語コミュニケーション」「戦術性」「戦略性」などの単語は、この雑文で何度も使用されているからだ。
しかし、そもそもLA2H潜りという単語は、「ACが低く、両手武器を持ったキャラによる潜り」ということのみを意味しているのであり、アクション性が高くなくとも、判断やテクニックを重視しないものであっても、連携を考えないものであっても、それはLA2H潜りであるはずだ。今日の読者の多くはご存知ないだろうが、過去において、そのような「他の流派のLA2H潜り」は実際に存在していたのだ。なのに我々は、LA2H潜りという言葉から、上に挙げた解釈に登場する単語群をイメージしてしまうし、LA2H Diverでないプレイヤーも「LA2H」という単語を目にしたら、上のようなイメージを抱いてしまうのだ(少なくとも「テクニック重視の玄人向けの潜り方」というイメージを思い浮かべてしまうようだ)。
つまりLA2Hという単語が、そのまま「アクション性」「非言語コミュニケーション」「戦術性」「戦略性」などの単語によって象徴されるLA2Hの1流派(=UNIQN氏を創始者とする流派)を意味するという現状は、過去のbattle.netにおいて存在した別の流派のLA2H潜り(やLow AC潜り)がUNIQN流派によって駆逐され、絶滅したということを意味している。もし仮に、今現在のbattle.netに、駆逐される以前の他流派のDiverが復帰したとしても、その流派は「ああ、コスプレ潜りね」と呼ばれるか、未成熟なLow AC潜りとみなされる運命にあるのだ。
このような現状が、UNIQN流派のLA2H Diverによって意図的に形成されたものであることに議論の余地はない。我々はまず、キャラ育成・アイテム収集・Duel・タイムアタックなどの遊び方から自らを分離することから始めた。High AC装備も盾も持たないでHell/Hellに潜ることがただの酔狂やオフザケではなく、上に挙げたメジャーなDiablo1の楽しみ方と肩を並べうるものであることを言論や実践によって証明したのだ。こうした努力によってLA2H潜りという楽しみ方が認知された後、我々は、我々が「オフザケ」と見なす他流派のLA2H潜りを駆逐することによってLA2H潜りを純化させたのだ。
はたして、この分離・純化運動はいつ生まれたのだろうか。それはおそらく、Right氏がLA2H Technical Manual for Warriorを公開した時点だと思われる。もちろんそれまでにも、現在のLA2H潜りに直接的に繋がるLA2H潜りがbattle.netでは楽しまれていたのだが、その遊び方を厳密に定義したのは、Right氏の文章が初めてだろう。事実、そのTechnical Manualの冒頭では、これまでのDiablo1の楽しみ方とは別の遊び方としてLA2H潜りをすでに紹介しているし、「カタルシス」という単語によって我々の流派のLA2H潜りの目標を提示しているのだ。
Right氏によるマニュアルは、他の遊び方からの分離・独立を宣言するものであり、排他的・攻撃的な要素を含んではいないが、当時UNIQN流派に属していたLA2H Diverに排他的・攻撃的・挑発的な姿勢があったことは否定のしようがない。実際、当時のbattle.netでは、他の流派のLA2H Diverと潜ることもよくあったが、彼らに対して、私たちは決して友好的ではなかった。「To-Hit足りない武器を振り回してどうするつもりなんです?」などの挑発的発言によってそのスタイルの論理的整合性を問いただしたり、我々お得意のスピーディな攻略によって、彼我の技術力の違いを見せつけることも日常茶飯事だった。また、私が当時運営していた非公開のBBSにおいては、彼らの技術や姿勢を批評する書き込みが重ねられていた。
このような排他的・攻撃的・挑発的姿勢が文章となって始めて公に表明されたのは、このサイトの序文にあたる「Low AC潜りの意義」ではなかろうか。この序文の前半では、RPGや対戦ゲームとしてのDiablo1から分離すべきアクションゲームとしてのDiablo1がLow AC潜りであると宣言しているが、後半においては、私が亜流や変種とみなすLow AC潜りを糾弾しているのはおわかりいただけると思う。Right氏のサイトを、他の遊び方から分離して「立国」を表明する創造的な性格のものであると呼ぶなら、HA! は、亜流を排除することによって自らのアイデンティティの確立を求める攻撃的な性格を有しているといえるのだ。
分離・独立することによって自らの存在を表明し、亜流を排除することによって確固たる地位を築いたUNIQN流派のLA2H Diverは、自らの生まれ故郷である「旧大陸」への侵略行為さえ行っていた。※1 スタンダードなHigh AC潜りのみを仲間内で楽しんでいる半プライベートなCHに道場破りのように乗り込んで潜る場合や、High AC Diverが圧倒的多数を占めていた当時のJPN-1やJPN-2での公開募集に参加する場合は、パワー・スピードにおいて常に彼らを上回ることを自分達に課し、「プレイヤーの違いがここまでゲームを変える」ということを露呈させようとした。彼らの驚く様子や、卑屈になる様子、そして私達を敬遠するようになる様子を見ることには、正直言ってサディスティックな快楽の要素が少なからずあった。※2
※1 こうやって書くと、まるで嫌がらせをするためにHigh AC Diver達と潜っていたように見えてしまうが、実際には全く逆であり、我々UNIQN流LA2H Diverは、High AC Diverによるスピーディな潜りにおいても遜色なく戦える技術を備えていることを前提としており、LA2H Diverだけで閉鎖的に潜ろうなどとは微塵も考えていなかった。こういった「他流試合」には、新たなLA2H Diverとなりえる資質を持つ人材の発掘という意味合いもあった。
※2 わざわざ言うまでもないことだろうが、我々UNIQN流 LA2H Diverは、全てのHigh AC Diverに対して挑発的な態度を取っていたわけではない。当時のbattle.netにはHigh AC Diverの中にも優れた技術の持ち主や、素晴らしい人格の持ち主も多く存在したのであり、我々は彼らに敬意を払い、彼らとの潜りを楽しんでいた。
UNIQN流LA2H Diver達の過酷な態度はこれだけに留まらない。さらには同じUNIQN流 LA2H Diver同士の共喰いさえも志向していたのだ。表面上は協調的なプレイをして一緒に進行していながらも、実は「どっちがうまいのか」という競争意識が常に火花を散らしていた。無様な死に方をした仲間には心の中で嘲笑を浴びせ、その仲間がダウンせざるをえなかった過酷な状況を、自分が見事にクリアしたことに対しては、自己満足的な優越感に浸る。逆に自分が無様に死んだ時には、そういう嘲笑の混じった視線が自分に突き刺さるのが露骨に感じられて、屈辱感にさいなまれる。時には「もうLA2Hなんかやめてやる」と投げ出しそうになってしまうのだ。
このようにUNIQN流派のLA2Hは、自分を取り囲む他者との闘争を前提としていた。もっと正確な表現をするなら、野蛮な闘争を志向する態度の中にのみ、UNIQN流派のLA2Hは存在しうるということなのだ。しかし、そのUNIQN流派によって席巻されたはずの今日のbattle.netに、このような闘争を志向する姿勢は見受けられるだろうか。「UNIQN帝国」はすでに完成して揺らぐ様子はなく、LA2Hテクニック指南サイトという「法制度」も完備され、脅威となる「外敵」も存在しない今日のbattle.netにおいて、外部との戦いが消滅したことは言うまでもないが、一番肝心なLA2H Diver同士の戦いさえも消滅してはいないだろうか。相手をbattle.netから追い出してしまうぐらいの残酷な気持ちを抱いて火花を散らしていたLA2H潜りが、にこやかな顔で平和にエンジョイする「社交ダンス」と化してはいないだろうか。
今日のbattle.netに通っているLA2H Diver達が、LA2Hのマニュアル的サイトが完成する以前にbattle.netで活躍していたUNIQN流LA2H Diverよりも多くの技術や知識を持っていることは私も認める。※3 彼らにとってクリアが不可能な難局などないだろうし、High ACも含めて、あらゆるタイプのDiverがbattle.netに復帰したとしても、それら「亡霊」に圧倒されることはないだろう。しかし彼ら現在のDiver達が、逆に「亡霊」を圧倒するだけの力を秘めているのかと問われると、素直にイエスと言うことはできない。それは、長期間の努力の末に達成された技術力の高さに釣り合う野蛮な闘争心を持っていないからだ。「たしかにうまく潜っているけど、気迫が感じられない。鬼気迫るものがない」という印象を持ってしまうのだ。これは非常にもったいないことだと思う。せっかく長期間の訓練によって磨き上げた技術力を、自らの手で貶めているように見えてしまうからだ。
※3 もちろん、今日のbattle.netに存在する全てのLA2H Diverが高い技術力を持っているなどというつもりはない。中には、幼稚な思考回路によってLA2H潜りを完全に歪曲して認識した上に、自分は最高難度のプレイを実践していると声高らかに宣言しているプレイヤーだっているし、はるか昔からAxeを握ってプレイしているにもかかわらず、まったくと言っていいほど技術の向上がなく、後発のDiver全員に追い抜かれてしまったプレイヤーもいる。それらはもちろん、個人の自由意志によってAxe Playを楽しんでいるのだからこちらが実際に干渉することはないが、この雑文中で言うところの「今日のbattle.netに存在するLA2H Diver」に彼らを含めてしまうと議論が成り立たないため、彼らをLA2H Diverとは認識しないことにする。
「ではこれからどうすればいいのか」などと、野暮なことは書くまい。あとは読者諸氏の気持ちの問題なのだから。Hellの入り口に立っているだけで緊迫した空気が漂うような潜りが復活すること、激しい闘志と高い技術力によって、「他の種族」を怯ませる日々がやってくることを願っている。
| バランス感覚・後編 ―高次元の妥協点の探求 |
この文章は、「バランス感覚・前編」、「バランス感覚・中編」に続く文章となる。
「バランス感覚・中編」では、ゴリ押しに代表される連携プレイ、ラグ/ズレの認識、ホスト/クライアントの差異の認識という3つの新たな要素が、実は今日のDiver達のパフォーマンスを低下させているという現状を指摘しつつも、それら3要素を排除することによってパフォーマンスを回復してはならないと述べた。その理由を、前回の雑文では「それらに気づいてしまったから」と抽象的に述べたが、今回の雑文は、これを詳しく述べることから始めたいと思う。
現在と過去の潜りを比較して、過去の潜りのほうが優れたパフォーマンスを示していたと観察する私の言葉は、いかにも第一世代のDiverが口にしそうな懐古趣味的なものに見えるだろうが、それは違うと断言する。むしろ私は、半ば伝説と化している第一世代のDiverの潜りが、いかに未成熟で詰めが甘いものであったのか言及されるべきだと思うし、そのような「古き良き時代の(未成熟で詰めが甘い)潜り」を今もなおベストであると捉えることは、2004年現在においてbattle.netに通うことの意味を失わせてしまうと思っているのだ。
つまり、我々現役Diverがbattle.netに通う意義は、「古き良き時代の(未成熟で詰めが甘い)潜り」を超えようと努力したときにのみ生まれるのであり、我々のアイデンティティは、「古き良き時代の(未成熟で詰めが甘い)潜り」を超えた時に、ようやく確立されるのではないだろうか。具体的に言うなら、長らくbattle.netを訪れていなかった第一世代のLA2H Diverがbattle.netにふと舞い戻って、当時の感覚のまま我々と潜った時に、彼に「オメーらスゲーよ」と言わしめることが我々の果たすべき役割ではないだろうか。そして彼の潜りを見た時に「なんだ、全然たいしたことないな。この人本当にすごかったの?」と感じることができるようになることが我々の使命なのだ。
では、その「古き良き時代の潜り」を超えるための方法とは、いったいどんなものか。もちろん簡単には説明できないが、まずは両者の長所と短所をもう一度確認してみよう。
第1世代の潜り 現在のDiverの潜り 長
所
・ 個々の状況判断と操作にのみ集中しているため、ダイナミックな攻略ができる。 ・ そもそも味方との連携を期待をしていないため、期待を裏切られることがない。
・ 連携プレイという攻略法を持っているため、選択肢に幅がある。 ・ ホスト/クライアント概念によって、味方による敵の動きの変化を予測できる。 ・ 敵のワープを予測する方法が確立しているため、きちんと対処できる。 短
所
・ どのような場合でも個人プレイで難局を打開しようとするため、常にベストの攻略法を想定できない。 ・ 味方の動きに影響される敵の動きの変化を予測できない。 ・ 敵がワープした後の配置を予測しないため、ワープのたびにあわてることが多い。
・ 様々な危険性を想定しているため、「弱虫」で単純な動きになりがちである。 ・ 味方をあてにしすぎており、予想外の味方の動きが、そのままダウンにつながることがある。
このように両者は一長一短であり、両者の短所を全て克服し、長所のみを併せ持つ潜りというのは存在不可能だろう。所詮は人間による操作なのだから、個人プレイに一点集中したときの破壊力を、連携プレイやラグ/ズレを常に細かく考慮しながら維持するということは無理なのであり、以前に話題にした16F 1stの攻略手順のような「いいとこ取り」はできないのだ。しかし、それでもなお、我々には目標とするべき到達点があるのではないだろうか。以下のグラフをみていただきたい。
このグラフは横軸がパフォーマンスの量であり、わかりやすさのために比喩的に数値化している。上に述べたとおり、第一世代は個人プレイにのみ集中してきた。それに対して、現在のDiverは新たな要素を導入したことによって、あまりにも個人技の研鑽をおろそかにしてしまった。そのことに気づいた現在の我々は、個人技と新要素を同時に使用することによって、第一世代を超えなければならない立場にいる。しかし、人間が一度にできることには限界があるので、表中の「理想的状態(1)」は実現不可能だ。そこで我々が目標とすべきなのは、「理想的状態(2)」のような「高次元の妥協点」を見つけることなのだ。その配分が「90+20」であろうと、「75+35」であろうと構わないが(これがスタイルの分岐を生み出す項目となるだろう)、とにかく「個人技100」の状態を超えればよいわけだ。
さて、それでは「高次元の妥協点」とは、いったいどのような地点なのか。どのようにして、それを見つけることができるのか。おそらくこのサイトの読者にとって、最も関心があることだろう。しかし残念ながら、私にはそれをはっきりと言明することができない。なぜなら、この「高次元の妥協点」は、1つに限定されないからだ。それぞれのプレイヤーが「これが究極のLA2H Diver」という理想像を持っているはずであり、その理想像が位置している地点こそが、「高次元の妥協点」なのだ。つまり、現在の我々は、「第一世代の潜り」と「現在のDiverの潜り」という2つの「悪例」を知っているのだから、それらを回避すれば、自然と「高次元の妥協点」を見出すことが可能なのだ。我々は「ちょっとゴリ押しし過ぎているなぁ」と自分で感じることがある。致命的なズレが発生する状況で不用意に動いてしまい、たとえダウンに繋がらなくても、反省してしまうこともある。このような精神の動きこそ、現在のbattle.netに通う我々だけが持つバランス感覚なのだ。そのバランス感覚にしたがって常に自己の潜りを調整するフィードバックシステムを機能させることが必要なのだ。
しかしこのような抽象的な言い方では、やはりわかりにくいだろう。そこで、「高次元の妥協点」を掴むために、私自身が心がけていることを紹介してみたい。あくまで私の流儀なので、万人にとって効果的であるはずがないので注意してもらいたい。
状況や敵によって潜り方を切り替える……たとえば、Knightやムカデが密集しているときには、最初は連携重視で攻略し、少しずつMarikをしながら、常に敵のワープやホスト/クライアントを予測しておく。フロントラインがだんだんと下がってきたら、一気に敵を飛び越えて敵を上方で散らす動きをして、味方に敵が集中するのを防ぐ。飛び越えた後には、ラグ・ズレ、ホスト/クライアントはまったく意識せずに操作の正確さに全ての集中力を注ぐ。
味方の潜りを熱心に観察して真似してみる……味方の判断や動きを見て、同意できることもあれば違和感を覚えることもあるだろう。明らかにマズいという判断は無視して構わないが、その動きの意図を掴めないことが多い場合、その動きを正確に真似する(遅れずにまったく同じ箇所にTLPでついていく)と、今まで自分が気づかなかったものが見えてくることがある。そのような発見によって、「自分の理想像」の位置を修正することができる。
無理だと思えることに敢えて挑戦してみる……これは補足的なスローガンだが、自分の限界を引き上げるために意識するものだ。大量の敵を見て、「ここは絶対に前に出るのは無理」と判断したとしても、敢えて前に出てみるのだ。たいていの場合は、その予想通りダウンしてしまうだろうが、時には自分の予想を超えてうまくいくことがあるし、そういう経験によって、新たな対処法や個人技やコツを獲得できることもある。これは個人技のみならず、連携や他人へのヘルプにも適用できる。自分の安全を必死で確保している状態で、敢えて仲間へのヘルプの動作を無理矢理にに挿入してみると、意外なほどにそれが可能であることが発見できるかもしれない。時には、個人技だけに一点集中した潜りをすることによって自分の限界を知ることは非常に有効だ。
このような試行錯誤の結果、ようやくパフォーマンスにおいて第一世代を超えることができるわけだが、これでもなお、我々が目標とするLA2H潜りが完成するわけではない。もう一つの重要な要素に注目する必要があるからだ。これに関しては次回の雑文で述べる。
| バランス感覚・中編 ―新要素の導入 |
この文章は「バランス感覚」というテーマで、前編の最後で定義した「過去のLA2H潜り」と「現在のLA2H潜り」を比較し、現在のLA2H潜りの問題点を指摘するために書かれている。前編をまだお読みでない読者の方々は、まずは前編を読んでLA2Hの歴史に触れていただきたい。
さて、これから過去のLA2H潜りと現在のLA2Hを比較するわけだが、この両者を比較しようという私には、当然のことながら「それらは様相を異にしている」という意識がある。この2つは、1つの流派に属するものだから根幹は同じものであるはずなのに、なぜそのような差異が生じたのか。その理由として、過去のLA2H潜りにはなかった新たな要素が研究・開発されて加えられたということが挙げられる。
過去のLA2H潜りでは考慮されていなかったが、現在のLA2H潜りでは考慮されているものとして、「連携プレイ/個人技」という一種の対立項として捉えられている概念、「ホスト/クライアント」という概念(詳しくは、Racco氏によるPlay Tipsを参照)、さらには「潜りにおけるラグ・ズレ」の概念(当サイトのラグ・ズレ考察)などがある。これらの概念は議論や研究によって生まれたものであり、LA2H潜りに厳密さを与えたことは間違いないだろう。連携プレイというものが重視されるようになった結果、個人技で打開せざるを得なかった局面をスムーズに効率よく通過することが可能になった。連携プレイには意識の交流が必要とされるため、「連帯感」を生み出すことにもなった。「ホスト/クライアント」の概念は、敵の動きの予測に役立つ。ゲームをクリエイトしてプレイする時、敵の攻撃が自分に集中することが多いということを想定しておくことはダウン数を減らすだろう。「潜りにおけるラグ・ズレ」の概念は、味方のMarik方向を塞ぐことを防止し、敵のワープによる(当時は「しょうがないな」と流されていた)ダウンを消滅させることが可能となる。
このように書くと、LA2H潜りの全体としての質は向上し、現在のLA2H Diverは過去のLA2H Diverよりも洗練されており、そのパフォーマンスも上がっているように思えてしまうのだが、私にはこのことをはっきりと肯定することができない。むしろ、現在のLA2H潜りがはらんでいる「新要素の過剰利用」とでもいうべき事態が、LA2H潜りのダイナミズム(迫力・勢い・達成感・爽快感)を減少させているし、パフォーマンスをも下げてしまっているように思えてしまうのだ。
まず、「連携プレイ/個人技」の概念について考察してみよう。その端的な例として、現在の潜りでは「ゴリ押し」が多くの場面で選択されるということが挙げられる。ここでいうゴリ押しとは、Marik方向の脱出ルートを確保せず、仲間と並んで赤Potionを飲みながら敵を倒すことを指す。この戦法は、仲間への信頼感(=一人だけMarikやTLPで脱出せずに一緒に殴ってくれることを確信すること)を必要とするのだが、Marikがどうしても確保できない狭い場所で、そのような信頼の置ける仲間がそばにいた時には強力な戦法となりうる。「赤Poを飲みながら我慢すれば切り抜けられる」というシンプルさがあるため、自分の安全だけではなく、味方の安全も確保できるのだから。
この戦法は、過去のLA2H潜りには存在しなかった。なぜなら過去のLA2H潜りはほとんどが個人技で構成されており、連携プレイと呼べそうなものはSCによる補助や16FでのAdvocate撃破のみだったからだ。つまり一つの難局を打開できるか否かは個々の技術の達成度に左右されており、その技術力が(融合ではなく)合算されたものが「パーティの力」だった。技術力のないものは脱落して赤い画面を眺めるしかないという厳しさがあった。その赤い画面の中の仲間の動きを見て、「クソー、次は生き残ってやる」と執念を燃やし、成長の糧としたのだった。
しかし、過去のLA2H潜りでは技術力のない仲間がダウンしていたはずの状況が、現在のLA2H潜りでは連携プレイによって安全に確実にこなされている。かつては複雑な判断と冷や汗が流れるようなギリギリの操作によって打開されていた状況が、現在ではゴリ押しによってあまりにも安易に、そして生暖かく通過されてしまう。「今は殴られているけれども、粘っていれば仲間が横に来てくれる」という過剰ともいえる信頼感、いや、ある意味では「信頼の押し付け」といえるもの---「横に来て殴ってくれるよな?」という脅迫めいたもの---が自分に向かってくるのを私は感じずにはいられない。シンプルであるがゆえに、使い方も簡単で、難しい状況になると思考を停止し、「とりあえず並んで殴っていれば大丈夫」とばかりに不必要な(他によりよい選択肢があるにもかかわらず)ゴリ押しをする状況が多発している。そのような状況を何度も経験し、私は後味の悪さを味わっているのだ。
端的な例として「ゴリ押し」の濫用を挙げたが、これだけではない。「マルチ至上主義症候群」とでもいうべきものが蔓延しているようにも思える。連携がうまくいっているときには何の問題もないが、その連携が途切れた途端にダウンしてしまうことに身の覚えがないだろうか。なかなか難しい状況だなと感じていると、LA2H経験は短くはないにも関わらず、あっけなくダウンしてしまうことを繰り返している虚弱体質のDiverが(自分を含めて)周囲にいないだろうか。敢えて厳しく言うなら、その程度の技術力しか持ち合わせていないDiverとは、マルチプレイを構築し得ないように私には思える。なぜなら、信頼できないからだ。こちらが助けてばかりで、助けられることを期待できないからだ。技術を磨いた間柄だからこそわかりあえる合図や非言語コミュニケーションが通じるとは思えないからだ。
前々回の雑文では、私は「マルチプレイこそが真の醍醐味である」と書いた。そういう意味では、私こそ「マルチ至上主義症候群」を蔓延させた張本人なのかもしれない。前々回の冒頭で表を用いて段階的に説明したように、真のマルチプレイを行うためには、己の技術を極限まで磨いていることが前提であると、暗に言い含めたつもりではあったのだが……。いずれにせよ、骨太の技術(=いかなる状況も個人で打開できる技術)を獲得するように努力して欲しいと思う。「マルチプレイを主張するDiverはマルチプレイができない」などというパラドックスが発生しないためにも。
次に、「ホスト/クライアント」の概念について考察しよう。自分がホストであるときと、クライアントであるときの敵の動き方が異なることは、近年しっかりと研究されて注目されていることだが、この概念がLA2H潜りには重要な要素であることには私も同意する。これまでは「なんでいきなりこっち来るんだよ」と理不尽に感じていた敵の動きの理由が、この概念のお陰でしっかりと把握できることは間違いない。しかし、これを全面的に賞賛しつつ受け入れることは私にはできない。心のどこかに引っかかる部分がある。なぜなら、この「ホスト/クライアント」の概念と、現在のbattle.netでの捉えられ方について考えると、私自身が発案した「潜りにおけるラグ・ズレ」の概念と、それを使用する当時の私自身の様子を思い出してしまうからだ。
私自身、「潜りにおけるラグ・ズレ」の概念を提唱した当時は、周囲にあまりにも「ラグった」「ズレた」と愚痴をこぼすDiverが多いことに辟易としていた。「ならば克服してみせよう、もう『ラグった』『ズレた』(だからしょうがない)とは言わせない」という気概を抱いていた。そのために潜るたびにメモしながらデータをとった。そして自分なりの対策法が完成し、それを実践した時に私の潜りはどうなったか想像がつくだろうか。……意外に思われるかもしれないが、パフォーマンスが極端に低下したのだ。つまり、「ラグ・ズレ」を意識しすぎて、何もできなくなってしまったのだ。ちょっとでも大胆な動きをするたびに「ズレてるかも」とビクビクし、不必要に離脱が早くなったのだ。そして私は、Racco氏に次のような言葉を当時の潜りレポートで書かれた。
あまりラグを意識しすぎると、神経も使うしプレイ自体が窮屈になりそう
この言葉が、「ホスト/クライアント」の概念を頻繁に口にする現在のDiverにも当てはまるように思えるのは私だけだろうか。確かに「ホスト/クライアント」の概念を想定しておくことは「事故」を未然に防ぐ。しかしホストだからといって必要以上に防御的な潜りをしたとして、本当に楽しめるだろうか。クライアントだからといって必要以上に大胆な攻撃法(=ホストだったら確実にダウンする攻撃法)をすることは、次のゲームや自身の腕の向上に繋がるのだろうか。LA2H潜りに最も必要なのは、的確な判断と、それを実践する正確なマウス捌きであり、それを阻害してしまうほどに「概念」を実践してしまうことは、本末転倒なのではないだろうか。それまでは考えたこともなかったこの概念が、ダウンした言い訳としていつの間にか流通していないだろうか?
以上のように、LA2H潜りに新たに導入された3つの概念が、潜りのダイナミズムの減少、プレイヤーのパフォーマンスの低下を招いているという現状を説明してみたが、誤解してならないのは、これら3つの概念自体が問題点を内包しているわけではないということだ。問題があるのは、これらの概念を潜りにおいて実践するプレイヤーの使用法なのだ。これらの概念を用いると、はっきりとした効果があることが実感できる。さらには「自分は最先端の潜りをしている」という満足感も得られる。そして思わず悦に浸ってしまい、これらの概念を状況を考慮せずに過剰に利用してしまうのだ。
だからといって、「ホスト/クライアント」の概念をまるでなかったもののように、昔そのままのLA2H潜りに戻ることはできない。「ラグ・ズレ」の概念についても同様だ。さらには、効果的なゴリ押しを始めとする連携プレイは、ある時には個人技を超えることができることに気付いてしまった以上、個人技の合算のようなかつてのプレイに戻ることもできない。「なぜなら、私たちは「それらに気付いてしまった」からだ。これらの概念にはマルチプレイの重要な要素が含まれていることに気付いてしまった以上、それを無視することはできないのだ。
では、はたして現在のLA2H潜りをどのように構築すべきなのか。ここでようやく、主題である「バランス感覚」と、現在のダイバーの問題点である「LA2Hスピリットの喪失」について言及することができるようだ。この続きは後編にて。
| バランス感覚・前編 ―歴史考察 |
今回は、過去のLA2H潜りと現在のLA2H潜りを比較することによって、現在のLA2Hの特徴と問題点を指摘する。ひとことで「過去のLA2H」といっても、読者の方々にはいつのことなのかわからないはずなので、まずは前編として、簡単にLA2Hの歴史を振り返ることから始めてみよう。実は、この文章に続く中編・後編の文章は、以下の歴史記述がもたらす知識をほとんど必要としないのだが、ここ1、2年の間にLA2H潜りを始めたDiverのみなさんには、ぜひともLA2Hの歴史を知っておいてもらいたいとは常々考えていたので、少々長くなるがお付き合いいただきたい。自分のルーツを知るということは有益であるはずなのだから。
現在のLA2Hへとつながる流派は、1998年頃にUNIQN氏が開発した(※注)。それは当初、現在のようにサイトによってマニュアル化されることはなかった。公開募集によってUNIQN氏と偶然一緒に潜ったDiverが、「なんであんなことができるんだ。スゲーな」と驚き、それを真似してみることによって徐々に伝播していった。この時、小規模ながら「LA2H集団」というものが形成されることになる。その集団を構成していたのは、Right氏がTechnical Manual for Warriorの最後にSpecial Thanksとして謝辞を述べているDiver達だ。これの集団を第1世代のLA2H Diverと呼ぶことにしよう。
やがてこの「口承によるLA2H伝播」は、Right氏がTechnical Manual for Warriorを執筆して公開することによって終了する。このマニュアルの公開以来、LA2Hは不特定多数に広がってゆく。たとえばTai氏は、UNIQN氏やRacco氏と親しく会話をするわけではなかったが、Right氏のマニュアルは熱心に読んでいた。そこで基本の技術を知り、Racco氏や私と何度も潜り、その感想を自分のサイトで述べることによって交流が生まれていった。Tai氏の他にもVargo氏、March氏、Kusao氏なども同世代のDiverということになる。この頃はUS-WestのJPN-2にLA2H Diverは集っており、その存在を知られる程度には拡大していた。彼らを第2世代のLA2H Diverとする。(余談だが、周囲に溢れる凡百のBow-Rの中で、Rosweise氏とMira氏という2人のBow-Rが輝きを放っていたのもこの頃のことだ)。
そして当サイトがLA2H-S専門のサイトから、W, R, S全てのLow AC潜りを扱う総合サイトへ変貌したことも一つの時代区分を形成しているはずだ。当サイト(と、それぞれの概論を担当していただいているサイト)を熟読してLow AC潜りを志すDiverとの出会いがあった。私は彼らと膨大な数の潜り(そして議論)をこなしていった。この頃には私とRacco氏は共同で潜りレポートを執筆していた。Diablo2の発売(2000年夏)によるDiver減少の煽りを受けて、集合場所はUS-West JPN-2からAsia JPN-1へと移った。Asiaでは公開募集という習慣すら根付いていなかったので、潜り仲間を集めるのに非常に苦労した思い出がある。やがてAsia サーバーの調子が劣悪になったということもあって、Asiaで増えたLow AC Diverと共に、US-West JPN-1へ再び引っ越した。この期間のDiverが、Xeno氏、Rushie氏、T.N.氏、Takano氏、Jun氏達だ。つまり第3世代を形成する人々だ。
こうやってUS-WestとAsiaを往復する必要性が生じたのはver. 1.08からGatewayが付加されたからだ。昔からDiablo1を楽しんでいたPlayerには、「アメリカのプロバイダー(MindSpring, Exodusなど)が提供するサーバーに接続して遊ぶゲーム」という常識があったため、US-Westに居座ることが多かったが、1.08以降に始めたDiverは、「日本はAsiaの一部だから」ということで迷わずAsiaサーバーで遊んでいた。結果としてベテランはUS-Westにおいて少人数で遊んでいるためAsiaのことを知らず、新規参入者はUS-Westにベテランがいることを知らずに遊んでいたという事態が生じていた。US-Westには新規に参入してくる人が皆無に近いため、ベテランダイバーは人口の減少に悩まざるを得なかった。そして再び、ベテランダイバーたちは「新たな風」を求めてAsiaに移ることになる。
このAsiaへの移動が最後の移動となる。以後、US-Westへ戻ることはなく、現在に至る。AsiaではLow AC潜りは(前回の雑文に書いた理由で)事実上の標準を握ることになった。Asiaでさえも人口は少なくなったと言わざるを得ないが、それでもなお、LA2Hに取り組む人は少しずつ現れた。彼らが現在活躍しているDiverであり、第4世代のLA2H Diverと呼ばれるべきであろう存在だ。
LA2Hの歴史の概略は以上。この雑文のテーマは「過去のLA2H」と「現在のLA2H」の比較であると上に述べたが、ここでいう「過去のLA2H」は、(極端な例をあげるためにも)第1世代のDiver達が行っていたLA2H潜りということにする。そして「現在のLA2H」とは、第4世代を形成するDiver達の潜りだけではなく、2002年12月現在でもbattle.netに通っているLA2H Diver全体による潜りということにする(つまり私も含まれる)。中編では、実際にこの2つの集団の比較検討を行う。
※注: 「UNIQN氏が開発したLA2H潜り」という表現には、当時のことを知る読者にとっては違和感を感じる部分があるかもしれない。実際のところ、UNIQN氏にその基礎を伝えた人物は存在した。1997年頃のbattle.netを知る人ならば、Dianeaという伝説のプレイヤーの名前に聞き覚えがあるはずである。Dianea氏とUNIQN氏には交流があった。その時にDianea氏はUNIQN氏に抽象的ながらも2、3の言葉を伝えたらしい。それを具現化してLA2H潜りとしたのがUNIQN氏である……ということになるはずである。さらには、UNIQN氏が開発したLA2H潜り以外のLow ACでShieldなしの潜りの流派も存在した。当時は敵のACに関してバグがあり、WでもMesserschmidt's Reaverを使って潜ることが可能で、これを使って潜る集団もいた。彼らは非常に高いスキルを備えた集団だったそうだが、私は彼らとの接触はなかったので、この場ではあえて除外させていただいた。この文章では、現在のbattle.netに伝播しているLA2H潜りは彼らの影響下にはなくUNIQN流を根本としてるということで、このような表現にした。言うまでもなく、他にも存在したコスプレライクなLA2H潜り(例えばMag, Manaのみを上昇させたStaff-R、Lifeを1にしてのけぞりをなくしたTo-Hitの足らないBS-Sなど)は無視している。