keganiの雑文集 No.1
Diabloの潜りに関する話題を徒然と書き連ねています。更新は不定期です。
Date: 2000年10月06日 (金)
さて、今回のレポートは、通常の潜りレポートから離れて、題名の通り、一般的な話題にしようかと思っている。これは昔書いたのかもしれないけど、ログが一度飛んでるので。
Low AC潜りといっても、実は2種類ある。1つは、このサイトで扱っている「技術・判断を重視するLow
AC潜り」だ。これについては、今までのReportの過去ログやIntroductionで、どのようなものか、何を目指すものであるかを説明しているので、そちらを参照していただきたい。そしてもうひとつは、私が「コスプレ潜り」と呼んでいるもの。つまり「Armor姿で潜りたい、Mail姿で潜りたい」という目的のみで行われるもので、そこにはもちろん判断とかテクニック、そしてマルチプレイの意義という要素は含まれない。多くの場合、敵が近寄ってくると絨毯爆撃のようにSCで全部固めてしまい、それを攻撃するという「作業」を繰り返す(いわゆる「地蔵壊しゲーム」)。敵に突っ込んで行き、死ぬまでShield
Blockを繰り返し、赤Poを飲み続ける。味方との共同作業ということも意識されていないから、一人で勝手に進んでいき、FBやCLをばら撒いて、味方にそれがヒットするのも気にしないという感じだ。
……もちろん、私はそのような「コスプレ潜り」というものは好きではない。ただ単に、「つまんない」としか思えないからだ。だから私はやらない。しかし、誤解してほしくないのは、それを否定しているわけではないということだ。「つまんないから、私はやらない。でも人がやっているのは別にかまわない」という態度をとっている。ただし、マルチプレイを邪魔するような行為がない限り、という注釈はつく。どのような格好をして、どのような潜り方をしてもいい。それがローカルプレイならば。しかし、わざわざ時間を割いてBattle.netに来て、面倒な募集をして潜るならば、私は「マルチプレイって何だろう」ということをDiver全員に考えてほしいと思っている。仲間との歩調を合わせず、一人でどこかに飛んで行って、フロアの敵を一掃して、一緒に潜っている仲間は楽しいだろうか? それは、せっかく楽しい時間を過ごそうとしている仲間にとっては迷惑な行為じゃないだろうか?
仲間にピンチを助けられ、仲間のピンチを助ける。そして仲間がどのようなタイプのダイバーかを考え、それにしっかりと対応してゆく。そのような姿勢は、High
AC Diverであろうと、Low AC Diverであろうと、はたまたコスプレDiverであろうと、誰もがやるべきことなのではないだろうか。
こういうことを書くと、あることを連想してしまう。以前から思っていたのだが、マルチプレイにおけるSの役割というものは微妙なものじゃないか、ということだ。Sは、FBやCLをガンガンばら撒いて一人で進んで行くほうが本当はよっぽど効率がいい。味方と一緒に進んでいると(攻撃魔法を味方にヒットさせないことを考えるなら)、行動は制限されてしまう。しょうがないから、することないから、味方の危機を守ろうとしてその莫大なManaが尽きるまでSCをしていると、仲間にとってはそれは非常につまらない行為でしかない。
それでもなお、マルチプレイを意識して魔法主体で潜ろうとすると、(あえてモンクスタイルは考慮からはずす。あれはあまりに特殊なので)残り3人の仲間よりTLPで前に出て、味方にあたらないようにLightningやFlashやFBやGolemであらかじめ敵の数を調整し、ピンチに陥っている仲間をピンポイントのSCでヘルプをするという感じになる。つまり、戦況をコントロールするリーダー的存在になるわけだ。もうお分かりだろうか。このようなことをするには、かなりの腕が必要なのだ。つまり、「普通の下手なS」(=味方にヒットすることもかまわず攻撃魔法をばら撒き、SCの絨毯爆撃をするS)というものはマルチプレイの妨害でしかなく、「うまいS」(=味方のいる場所を把握しながら進むS、戦況を把握できるS)のみがマルチプレイに貢献できるのだ。
実際Asiaサーバーに活動拠点を移して以来、私は何度もSの方とも一緒に潜ったが、そのゲームは100%「楽しめない、つまらない」ゲームだった。理由は簡単だ。AsiaサーバーにいらっしゃるSの方は「普通に下手」だったからだ。だから、潜りレポートでSの人が登場することもない。これは、なかなかきっちりと解決できない問題だと思っている。まだDiabloを始めて間もないSがHell/Hellにいくと、その人は「普通の下手なS」でしかない。Asiaサーバーには皆無で、昔US-Westサーバーに存在した「うまいS」(たとえばMonju氏)も、実は、昔は「普通の下手なS」だったのだ。ではマルチプレイをやりたいと思っている「普通に下手なS」(=マルチプレイの妨害的存在)が、いつ、どのようにして「うまいS」に変身できるのか。たとえばMonju氏の場合、出会ったときから既にSの扱いがうまかった。そのゲームはもちろん面白いものだったから、私は彼のSとは何度も一緒に潜った。最初に彼と出会ったとき、彼がまだ「普通に下手なS」であったら、私と彼の付き合いは1度きりだったかもしれない。彼の「成長の時間」は、いつ、どのようにして存在したのだろうか。
わたしのようなならず者は、「普通に下手なS」と一緒に潜って時間を潰したくないから、あえて募集で「WRのみ」と参加枠を限定さえする。……どなたか、解決案を教えてくれないだろうか。
Date: 2000年09月18日 (月)
題名を見て、「グエ、今更かよ」とか思ったかな?(笑)。でも書いておいたほうがいいなと思ったの。今日Hack
Item満載のPlayerと潜ったから。そして、Asiaって、そういうことに無頓着過ぎるんじゃないかと思ってね。とはいっても、今更「Hackとは、Cheatとは何かという定義」とか、「Hack、Cheatの是非」とかは、もちろん書くつもりはない。そういうことは、今まで存在したDiablo
Pageで語り尽くされていると思うし、ここでまたその議論をリピートすることも無駄だと思うから。
要点だけ言おう。
「Hack, Cheatプレイヤーを見かけたら、『そりゃHack/Cheatだよ』と言ってあげよう」ということ。どうもAsiaに集うPlayerって、「楽しければいいじゃん」みたいな感じで、それを見かけても何も言わずにサヨナラって感じが多いらしい。で、そのHack/Cheat
Diverは、そのまま潜りつづける。その人は知らずにHack Item装備したのかもしれない。それが「ルール違反」だと知らずに、キャラデータを改造したのかもしれない。つまりさ、そういうHack/Cheat行為って、Asiaの場合は、悪意を持って行われたわけじゃないんだよね。PKするためとかさ。我々のDiablo
Lifeを振り返ってみるとさ、一度はそういうものに手を出してきたわけじゃない、興味本位でね。でも、誰かがそれがHack/Cheatって教えてくれた。そして、そういうのなしでDiabloやったほうが楽しいってことを教えてくれた。で、実際そういうのなしでやったほうが楽しいってことを実感して、2度とそういうものには手を出さなくなった。もし、その人が言ってくれなかったら、「あー飽きちゃった」って、Diabloやめてたかもしれない(そういうことやると、飽きるよね)。我々が、これほど長い間Diabloを楽しんでいられるのは、つまりその人のおかげ。JPN
BN Playerの多くが、Hack/Cheatなしでやってるわけで、そういう環境があるから、Diabloって楽しいんだと思うよ。もしUSA
CHとか、Kor CHでDiabloやってたら、このゲームのすごさはわからなかった。
だからさ、おせっかいでもいいから、言ってあげよう、Hack/Cheatだと。そう言われて、怒ってやめるか、「そっかあ」と思ってやり直すかは、その人次第だけど、そういうことに気付く機会は与えてあげるべきだよ。……以上、演説終わり(笑)。
Date: 2000年09月16日 (土)
某所で「Low ACって好きじゃない。だって一方的に殴られるだけだから納得いかない」という旨の意見を読んだ。私はその書き込みに、非常に納得してしまった(笑)。この意見はもちろんHigh
AC Playerからの意見なのだが、「なんで強い自分のキャラが、弱いモンスターに苦しまなければいけないんだ」ということだ。私のサイトのIntroduction風に説明するならば、Role
Playing GameとしてDiabloを楽しむだけの人は、Diabloをアクションゲームとして捉えることができないということなのだ。Role
Playing GameとしてのDiabloには、テクニックなんて存在しない。ひたすらマウスボタンを連打していればゲームは終わるのだ。ここには「テクニック不在=上達うんぬん関係なし」という図式が存在している。High
ACの時の潜りと同じ感覚で、ふとした興味でLow ACで潜ってみると、ヘトヘトになるまで、数え切れないほど赤い画面を見ることになる。そこで、「つまんない、こんなの理不尽だ、やーめた」と思うか、「なんで周りのやつらは同じような装備で死なないんだ」と疑問を抱くか。そこが、運命の分かれ道だ(笑)。
あ、こう書くと「あなたはHigh AC潜りを否定してるの?」なんて言われそうだが、絶対にそんなことはありませんよ。High
AC潜り肯定派です(笑)。Role Playing GameとしてのDiabloだって面白いですよね。ただし……という注釈はもちろんつきます。わざわざBattle.netに来て潜る意味ってなんだろうということを考えないHigh
AC潜りは、もちろん嫌いです。他人と一緒に時間を過ごし、自分も楽しみ、他人も楽しむこと。これに則った潜りであれば、High
ACだろうとLow ACだろうと関係ないと思っています。High AC DiverがLow AC Diverを否定することも、Low
AC DiverがHigh AC Diverを否定することも、まったく無益なことですよ。だって、Diabloの楽しみ方が根本的に違うのだから、別次元の話だから。それより、いかに楽しいマルチプレイを築き上げるかということがよっぽど大事です。鮮やかに立ち回って敵を粉砕するマスタークラスのLow
AC Diverもいれば、じっくりゆっくりやっていくLow AC Diverもいる。最強装備をうならせて敵の集団の真中で切り刻むHigh
AC Wもいれば、進むたびに死んで装備を回収する人もいる。そういうバラバラな方向性の4人が、楽しい時間を過ごすことが大事なわけで、それが可能であることが、Diabloの素晴らしさだと思っています。
Date: 2000年07月13日 (木)
さて、順調にDiablo1プレイヤーが減少している今日この頃(笑)、私は相変わらず潜り続けている。なんとか一回H/Hに行けるぐらいはDiverが集まるのが幸いといったところだ。
最近私が取り組んでいたズレ対策も、だいぶ腕になじんできた。おかげで、「あ、こういう風に敵がワープするだろうな」とか、「味方が囲まれているように見えるけど、実はもう逃げているな」とか判断できるので、致命的なズレというものも予測・回避できるようになったし、無駄なヘルプのSCもしなくなった。……努力は報われた(笑)。
そして、位置取りに関する意識もかなり変わってきた。ちょっと前まではMarikの確保を重要視してきたが、最近はそうでもない。それよりも、敵の分散・1
on 1で戦うことを今は重要視している。たとえば、細い通路を下から上に攻めるとき、そこに下から順に1-2-3-4といった具合に、
列になってムカデがこちらに接近していたとしよう。これまでのわたしだったら、Marik確保が前提であったために、1-2-3-4の順番で倒していたが、最近の私はTlPで一気に飛び越えて、4から倒そうとする。そのとき、Marikは確保せずに、上からとか、右から殴っていたりするが、1
on 1だったら別にMarikは必要ないので、かまわない。逆に言うと、Marikを確保しなくても、1
on 1で敵を殴れる位置さえ取れればいいというわけだ。
つまり、今までの私は、動的Marikにせよ、静的Marikにせよ、必ず「敵のMarik方向を取るという」という原則から外れることはほとんどなかったが、今は、Marikを確保しないことによって生まれるメリットというものを大事にしている。Marikを確保することによって、別の敵に殴られるよりも、Marikを確保しないことによって1
on 1の時間差攻撃ができるならば、そちらを優先する。混戦になった時でさえ、1
on 1が成立する場所を発見したら、そこに飛ぶ。(たとえばテンキーでいうなら、敵が1と5にいた場合、9に飛ぶ。)こうやって書いて気付いたのだが、このような位置取りはBow-Rの位置取りに近いのかもしれない。Marikを確保したら攻撃を始めるという今までのアクションから、Marikにはこだわらず、1
on 1ができるまでTLPを繰り返し、やっと攻撃を始めるということになり、結果として、TLPの量が格段に増えた。お陰でManaの消費が激しい(笑)。……このような位置取りにも何か命名が必要だろうか?(笑)。
私の潜りに対する姿勢というものにもだいぶ変化が現れてきた。今まではとにかく全体を見て、いつでもサポートができることを心がけてきたが、今では、自分のアクションが増えているので、自分のアタックとディフェンスに割く時間が長い。まあ、これがいいことか悪いことなのかはよくわからない。
なんだかんだといって、自分はダラダラと潜っているわけではないんだな、ということを感じた今日この頃だ。
Date: 2000年07月03日 (月)
「戦友」の死が、まるで「何か」に呼応するかのように訪れた。
長い間使い続けてきたMouseがとうとう壊れてしまった。右クリックがなぜか右ダブルクリックになってしまい、魔法が2回連続で出てしまう。設定をやり直してもダメ、分解して掃除してもダメ。1997年の夏以来、つまりBattle.netに足を踏み入れて以来、常に私の戦友であり、酷使にも耐えてくれたこのマウスともお別れのようだ。
……本当に今までありがとう、ご苦労様。
「何か」という単語を読んだ皆さんが最初に思い浮かべるのは、おそらくDiablo2の発売だろう。だが、私が思い浮かべるものは、少し違う。「Diablo2の発売によって、Diablo1のプレイヤーが一気に減ってしまったこと」だ。
それは、予期されたことだし、当然のことだろう。10年に一度の傑作ゲームという言葉がふさわしいDiabloの続編なのだから、プレイししないネットゲーマーは稀であるといえるだろう。Diablo2も、おそらく息の長いゲームだろうし、本気で取り組み、それが含有しているあらゆる楽しみを骨の髄まで味わおうとすれば、膨大な時間を要するゲームだろう。Diablo2にのめりこむということは、Diablo1をプレイする時間が微分的に少なくなるということを意味するだろう。
私は、1997年以来、Diablo以外のゲームをしていない。 用事があって自宅にいない日以外は、毎日Battle.netに通っていた。Playstationは彼女に預けてしまったので、FF8さえやっていない。私にとって始めてのネットゲームだった。そしてそのたまたま選んだDiabloというゲームは、私にとって、Wizardry1以来の傑作ゲームだったのだ。
薄れてゆく現実感覚。
昼夜の逆転。
仮想世界の数字に対する執着と狂喜乱舞。
理論の形成、技の習得と開発。
コンビネーションの美しさ。
凄腕のDuelistやDiverとの出会い。
空が明るくなるまで続いた議論。
自分のスタイルに対する自省と葛藤。
そして、自己の技術によって緊迫した難解な場面を攻略する達成感。
今思い返してみると、これほど自分はのめり込んでいたのかと正直言って驚く。Wizardry1は中学1年生の時に出会って、5.6年はやっていたが、その時ののめりこみ方と比べても、はるかにDiablo1に対するのめりこみ方のほうが激しい。どちらも傑作ゲームであるにもかからわず、なぜこのような違いが生まれたのか。
答えはシンプルだ。Diabloはネットゲームだったからだ。
ネットゲームは、一緒にプレイしてくれる他者を必要とする。他者と一緒に時間を過ごすということは、コミュニケーションを必要とする。ディアブロプレイヤーは、仮想世界におけるコミュニティのようなものを形成した。他者との共同作業、他者との競争、他者との対戦。顔も見たこともないし、直接話したこともない人が、私のクセやスタイルを見切って、それに合わせてくれたり、弱点を突いてきたりする。それはなんと心躍ることだろうか。
しかしこのようなことは、「一緒にゲームしてくれる人」がいなくなれば、消え去ってしまうことだ。一人だろうと、アイテム集めはできる。経験値稼ぎはできる。個人技を磨くこともできる。しかし、私にとって、Diabloはマルチプレイのゲームなのだ。「心躍るマルチプレイ」ができなくなった時、それは私にとってDiabloの終焉を意味する。
今もなお、Diablo1プレイヤーはBNにいる。ただ単に「4人で潜る」ことはできるだろうが、それが、つい先日まで存在した「緊張感のある、心躍るマルチプレイ」になる確率は、だんだん低くなっていくだろう。それは、私がかつてDuelをやめたときの状況と同じだ。凄腕のDuelistがだんだんとBattle.netを離れてゆき、楽しめるDuelをすることがだんだん少なくなった時、私はDuelをいつの間にかやめた。
今現在、Diablo2に対する感想を、私の周囲の人は私に報告してくれている。その感想は、Diablo1との比較による批判的なものであったり、賛美であったりする。しかし、私にとっては、正直言ってそのようなものはあまり意味を持たない。それよりも、近い将来、Diablo1で「マルチプレイ」ができなくなってしまうということが寂しいのだ。
これは決して、Diablo2に対する批判でもないし、Diablo1を離れてゆくプレイヤーに対する批判でもない。私はいろいろな事情によってDiablo2をプレイすることができないだけで、もし事情が許せば喜んでDiablo2をプレイするだろう。そして、Diablo1のCD-ROMは、いつのまにかケースの中で眠ることになるだろう。
あるゲームをプレイしなくなるということ。
私にとって、それはまるで雷のように衝撃的に起こるものではなく、ある種の宣言によって発生するものではない。かつて私はWizardry1を長い間とても楽しんでいた。しかし、今はやっていない。いつごろからプレイしなくなってしまったのかも覚えていない。あれほど心血を注いで育て上げたキャラクターが、いまどのようになっているのかも知らないし、それらのキャラクターが装備していたものに対する執着など、今は微塵もない。
そう、私はいつの間にか、Wizardry1に対する情熱を失ってしまったのだ。そして、その情熱を失ってしまったことに、あらためて愕然としてしまうのだ。……これは、まるで青春のようだ。青春は、ある日突然終わるものではなく、いつの間にか終わっていることに、後から気付くものだからだ。そして失ったものに、あらためて寂しさを覚えるものだからだ。
同じような事態が、私のDiablo1にも訪れることになるだろう。いつの間にかBattle.netに通わないようになり、それをなんとも思わなくなるようになる。ある日、自分にとって大切な存在だったBattle.netというものが、自分の生活から抜け落ちていることに気付く。しかし、そのときには、もうDiablo1に対する情熱は自分の中には残っておらず、Battle.netに戻ることはできない。そのようなものなのだ。That's
life.
私は「楽しい映画」を3年間も見続けてきた。
たまたま横に座った観客も私と一緒に一緒に笑っていた。
しかし、ふと気付くと、私の周囲には観客がいない。
部屋は明るくなり、係員が通路を掃除している。
「もう終わったよ」と、誰かが背後からそっとささやく。
スクリーンを見ると、確かに映画は終わっている。
何も映していない、純白のシルクスクリーン。
……御静聴ありがとう。
Date: 2000年07月02日 (日)
さて、今日は技術関係の話題からはなれて、マルチプレイについて。Diabloというゲームにはさまざまな楽しみ方ができて、Battle.netにくるみなさんはそれぞれ自分の楽しみ方を選んでいることは、みなさんがご存知のとおりだ。たとえば、このwebsiteの読者のみなさんのほとんどは技術を大切にするLow
AC Diverなのだと思うが、もちろんのこと、他の楽しみ方を選んでいる方というものはたくさんいらっしゃる。たとえば、High
AC最強装備でガンガン飛ばしまくる方もいらっしゃるし、4人で潜るという行為自体が純粋に楽しいという方もいらっしゃるし、Armor姿やMail姿という外見を楽しんでいる方もいらっしゃる。ストレスを発散させるかのように、とにかく他のひとのことは考えずに暴れまわる人だっている(笑)。そういう方々と一緒に潜ることはいつも発生する事態なのだが、そのときに我々「技術を大切にするLow
AC Diver」は、どのような態度でその潜りに取り組まなければいけないかということは、考えるに値することだと思う。
まず、最初に確認しておかなければならないことは、我々はマルチプレイの一員であるということ。つまり、他人のエンジョイというものを邪魔しないようにしなければならないし、4人全員がエンジョイできるゲームを構築することに貢献しなければならない。つまり、たとえばテクニックなど関係ないLow
AC潜りをする方に対して、我々が持っている技術や暗黙の了解というものを押し付けてはいけないし、ガンガン飛ばしまくるDiverが3人いるのに、ひとりだけノロノロやっているということもいけないことだ。(逆にいえば、現在のPublic
CHに存在しうる速攻潜りというものに、ついていけるだけの技術や装備は持っていなければならないということだ)私のWRSはHigh
AC装備を持っていない。それは、High ACじゃなくても現在存在しうる速攻潜りには、Low
AC装備でついていけるという自信があるからであって、たとえば過去に存在した超速攻潜りが今また復活したら、私は再びAwesome
Full PlateをINVに入れなければならないだろう。(例えば、BASSRANDY氏、LIONEL氏、Genocide.fast氏と潜ったとしたら、おそらく私は今の装備ではついていけないだろう、、、ということだ)。
そして、SCの絨毯爆撃という私たちには重要な問題も存在する(笑)。「あまりSCいらないですから、攻撃しててください」とは言ってもいいだろうが、それでもまだSCが減らないとしたら、私はAxe装備などやめて、盾剣装備に変更する。SCばかりのGameでAxe装備しても、つまらないだけだから。
私がおそらく技術を大切にするLow AC Diverであるからだろうか、私は、一緒に潜る方を「技術」という側面で観察する。この人はどれぐらい位置取りに注意を払う人なのだろうか、どれぐらい、味方のことを見ているのだろうか、状況をうまくとらえることができるのだろうか、と。それは、その場で仲間がどのような潜り方をするのかということを瞬時に判断し、それをサポートや自分の潜りかたのアレンジに生かすためだ。……たとえば、ゆっくりやりたい人がいそうであれば、バンバン飛ばないようにするとか。しかし、そのような観察を通して生まれる評価というものを、その場で言うことはない。
言うとしたら、その人が技術的なことで困っていることがわかって、技術に関して興味を持っている場合だけだとおもう。つまり「技術志向である」という私の側面を、他人に押し付けないということは大事なことだと思っている。そう、Low
AC潜りというものは、自分との戦いなのだ。つまりいかに自分がうまくやれたか、そして、いかに他人を助けることができたかという達成感をエンジョイするものだ。もしそのゲームに対して評価を行うとしたら、それは必ず自分に対する評価ということになるはずだと思う。
もう一歩突っ込んで言うなら、我々は仲間の動きや連携プレイやサポートというものを非常に大事にする人種であるはずだ。つまり、いかにいいマルチプレイを築いてゆくかということに関して一番敏感な人種であるはずであり、その場の雰囲気やゲームの進行のしかたというものをしっかりと把握しなければならない人種だ。我々に必要なのは、自分に仲間を合わせさせるのではなく、自分が仲間に合わせる姿勢。これは非常に大事なことだと思っている。そして、真に技術・連携志向のゲームというものは、技術志向のLow
AC Diver 4人がたまたま集まったときだけでいいのではと思っている。
たしかに、味方の連携がとれて、死者も少なく、快適なスピードで進むゲームというものは、非常に引き締まっていて、緊張感があって、この上もなく素晴らしいものだ。しかし、それ以上に大切なのは、とにかく4人全員が楽しむということ。たとえゲームがダラダラとしていて、技術とは関係のない潜りになったとしても、ジョークを飛ばしあい、笑えてエンジョイできたら、それでいいのではないだろうか。
この文章は、自戒の意味も入っているのだろう。
Date: 2000年06月12日 (月)
技術向上を目指すLow AC Diverは、一つ一つ技術を習得することによって、段階的にうまくなるものだ。たとえば下の4つのステップを踏んでいくのではないだろうか。
(1)Marik抜けを覚えて、モンスターのハメから抜けることを覚える。
(2)壁などの地形効果を有効に使おうと工夫するようになる。同時に、囲まれたりハメられる前に早めにMarik抜けを行うことを覚える。
(3)敵の集団を飛び越えることで、上から下、右から左に攻略するときに、Marikポジションを確保することを覚える。
(4)細かなTLPによって、敵を誘導・拡散し、各個撃破ができるようになる。
この4点は、いわば「技術向上を目指すLow AC Diverが習得すべき共通技術」のようなもので、プレイヤーの「持ち味・個性」と呼べるものではない。
では、はたして「持ち味・個性」というものを生み出すものはなんだろうか。それは非常に言葉にしにくいものなのだが、一つだけ挙げるなら、「どういう風に潜りたいか」という個々人の嗜好なのではないだろうか。つまり、どちらもいい判断だと思える選択肢が2つ以上あるときに、どれを選択するかということの積み重ねだと思う……かなり自信ない(笑)。もしくは、ある状況を、どのように解釈するかということの違いなのだろうか? ……やっぱり自信ない(笑)。とりあえず、例を見てくれ(w
例えばwyolica氏の場合、先頭を突き進み、敵の中を飛び回って、難しい局面をあっという間に片付けてしまう。つまり、ずば抜けた個人技で、本能とセンスによって潜っていくタイプだ。……まるで、ドリブルでディフェンスラインを抜いていく「南米サッカーのフォワード」のようだ……そう思ってくれ(笑)。
それに対し、「パスワーク」を重視し、仲間とのコンビネーションで攻略するというやりかたもある。この場合は、先頭を突き進むという感じではなく、常に仲間を視界に入れながら戦い、仲間にとってわかりやすい位置取りをし、仲間の状況を常に把握しようと心がける。いわば「欧米サッカーのミッドフィルダー」という感じだろうか……そう思ってくれ(w
……あなたは、「南米サッカーのフォワード」? それとも「欧米サッカーのミッドフィルダー」? とりあえず、「南米サッカーのフォワード」の方が、見た目が派手です(笑)。
Date: 2000年06月10日 (土)
JPN-2には多くの技術向上に熱心なLow AC Diverがいらっしゃるが、もちろんのこと、それは一つの流派に沿うものではなく、そこには、様々な判断と位置取りの仕方、敵との対し方というものが存在する。私は彼らを注意深く観察し、その場に適した潜り方というものをいつも考える。つまり、「こういうメンバーならやること」「こういうメンバーならやらないこと」というものを使い分けるようにしているのだ。
具体的に一つのテクニックを例に挙げることにしよう。たとえばそれは「動的Marik(潜りレポートの過去ログ参照)を使うか否か」ということだ。動的Marikは、いわば細かいTLPによって敵を誘導・分散・各個撃破するテクニックだが、この方法を知らない人から見れば、ただ敵の中に飛び込んでいっているようなものだ。動的Marikを行うDiverにつられて敵の中に飛び込むことは、即死を意味する。そして、動的Marikというテクニックは、非常に強力な戦法ではあるのだが、静的Marikに比べて、多くの敵をアクディヴにしてしまうという難点がある。動的Marikを行う人にとってはそれは当然であるため、敵がいくら増えようともその局面を打開できるのだが、結果として、そのアクティヴになった敵の集団は、動的Marikを行わない仲間に集中するということもある。だから私は、wyolica,
Racco, Rosweise, March, Vargo, rez..., Tai-Blackfireなどの、ベテランLow
AC (LA2H) Diver諸氏が2名以上いないときには、動的Marikはまず使用しない。Marikが余裕を持ってできる位置まで下がり、「ここなら大丈夫だよ」ということを素振りをしながら指示するようにしている。もちろん、こういう潜り方には時間はかかるが、時間よりも私は安定性を重視するようにしている。なぜ「2名以上の」という基準が存在するのかというと、動的Marikを行う人間が1人の場合(誰でもいいのだが、たとえばwyolica氏)、私を除いて残り2人のほうに敵は集中する。その時、私も同時に動的Marikを行うと、残り2人だけで敵の集団を相手することになり、おおよその場合、1人が即死すれば、もう一人も同時に即死することになる。そういうときには、私は2人の方に残り、2人が抜ける時間を稼いだり、SCで敵を固めたり、Marikポジションを塞ぐ敵を倒したりする。だが、動的Marikを行う人間が2人以上いた場合は、逆に私も動的Marikを行ったほうが、残り1人の負担も軽くなるようなのだ。というのも、同時に3人が動的Marikを行えば、敵集団全体が常に動かされている状態になるので、残り一人に敵が集中するということはないように感じられるからだ。と、同時に、壁などの地形効果が利用できるベストポジションを、その人に譲るという効果もある。
つまりは、私は「チームプレイ」というものを、いつも想定しているらしい。お互いが助け合い、それぞれの長所や個性が生かせるマルチプレイ。そういうのが大好きだ。 ……ということで、もう1つ書くことを思いついたのだが、それは次回にということで。次回のタイトルは「南米サッカーと欧州サッカー」。乞うご期待(w
Date: 2000年04月27日 (木)
UNIQN氏は、彼のwebsiteの物語において、こんな事を書いている。
>某HPで私の位置取りが取り上げられた事などもあり、
>自分のスタイルについて考えすぎて深みにはまっていたって感じですね。
(中略)
>経験から来る本能というか直感力で潜るのが私には最適って事。
>もちろん知っておかなければならないテクニックはあるし、
>そのテクニックを利用するための位置取りってのは基本として大切。
>でも、それが身に付いてきたら知らないうちにそういった位置取りをしてしまうんだろね。
これは、文章というものがもたらす功罪を非常に端的に表した状況だなと感じた。私がこのwebsiteを開設し、JPN-2で多くの人と潜るまで、LA2Hを始めとするUNIQN氏のテクニックやスタイルというものは、他のDiverにとって、「なんでそんなことをするのか」とか、「どうしてそんなことができるのか」という疑問だらけのものだったらしい。たとえば、「なんでAxeなのに、敵をいっぱい相手しているのに、死なないの?」という感じの疑問だ。(これはMiraさんやAtroさんとの会話によってわかったのだけれど。)つまり、UNIQN氏は控えめな性格だから(笑)、尋ねられたら答えるけど、尋ねられなければ何も言わない人なので、ある種のMiss
Communicationが両者の間に発生していたわけだ。
彼は、彼が書いているように、本能とセンスと経験で潜っているため、別に説明の言葉などを必要としない。そこで、第三者の私が、彼がやっていることを客観的に文章にした。私は、UNIQN氏やKiwi氏のスタイルというものを盗み見て、そして彼等と話すことによって、自分の理解したことを文章にまとめていき、それをwebsiteとして公開した。(もちろん、文章にすることによって自分なりに理解を深めもした)BBSにおいて、Low
ACの技術的な質問を誰かが行えば、ベテランLA2H Diverの誰かが丁寧に答えることによって、そしてそれらの質疑応答が他人の目にも触れることによって、技術的な疑問が解決されてきた。そして潜りレポートというものを書くことによって、Racco氏(と私)という、LA2H
Diverが潜りながらどのようなことに注意を払い、どのように仲間を見ているかということを公開していき、我々のマルチプレイに対する姿勢というものを明らかにしていったつもりだ。つまり、HA!
HA! HA! HAHA!!というWebsiteは、技術向上を目指すDiverにとっての技術的マニュアルであり、我々LA2H
Diverにとっては、スタイルの表明書としての役割を果たしてきたのだと思う。そして私は、このHA!
HA!というwebsiteをけっこう積極的に宣伝もした。結果として、このwebsiteは、LA2Hというものの広告塔的な存在となり、他のDiverとの掛け橋となったのだと思う(自分で偉そうに言っているな、すまん)。
しかし、だ。文章というものは、いや、言葉というものは、なにかを定義するものだ。私はUNIQN氏がやっていることを言葉に変換し、UNIQN氏の言動を定義してきた。そして、定義というものは、強制力を持つものだ。その定義が、言葉が、今回はナチュラルに感性で潜るUNIQN氏を呪縛してしまった。そう、本当は、その人のテクニックを、そのまま完全に言葉に変換することなど出来ないのだ。文章にすることによって、私はUNIQN氏の潜りというもののある部分を強調し、別のある部分を無視した。つまり、その「文章になったUNIQN氏」という歪曲されたUNIQN像を、UNIQN氏自身が眼にすることによって、歪曲されたUNIQN像というものが、本物のUNIQN氏を襲った。……恐いね。
そして、文章の形態をとった技術的マニュアルというものは、絶対に不完全なものだ。書かれていることをそのまま実践することは不可能なのだ。
実際、私はLA2Hというものを始めるにあたって、Right氏のマニュアルを読んで基礎的なテクニックというものを知り、UNIQN氏の潜り方を盗み見て真似をしようとし、Kiwi氏と潜るたびにマズイところを指摘してもらったり、彼に質問をすることによって技術を磨いていった(もちろん現在進行中)。
そういう私は、実際に潜っているときには、マニュアルのことなど一切意識していない。ある状況に置かれたとき、私は一瞬のうちに判断し、あとはマウスを握る手が勝手に動いてくれる。その判断は、過去の経験から生まれるものでしかない。その判断は、マニュアルとは正反対のものであることもある。つまり、マニュアルというものは、単なる足がかりでしかなく、あとは、潜ることを数限りなく繰り返すことによっていろいろな状況というものを体験し、TRY
& ERRORを繰り返しながら試行錯誤し、最高の動作を体に染み込ませるしかないのだと思う。これは、スポーツとまったく一緒だと思う。教本を読みながら、もしくは思い出しながら、あなたはコートのギリギリに入るスマッシュを打つだろうか?
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